コシヒカリのルーツ
以前、東北地方では、冷夏になれば、不作
や凶作になりました。稲作はいまよりも
大変でした。なぜなら、イネが寒さに弱い
からです。早く収穫できない品種は、
東北地方でのコメ作りは困難でした。
こういう状況をすくおうと稲塚権次郎と
いう方が、寒さに強いコメの貧弱を育種
しました。それが『陸羽百三十二号』です。
これがいっきに広まったそうです。
とくに宮沢賢治が東北地方を豊かにしたい
という思いで、この『陸羽百三十二号』の
普及に力を尽くしたそうです。
稲塚氏の試みは後輩に引き継がれ、『水稲農林一号』という品種が完成しました。これも
寒さに強く、今度は全国的に普及していき、
米の生産量、自給率も増えていったそう
です。
そして、この『水稲農林一号』が品種交配の親として使ったのが、『コシヒカリ』です。
ちなみに、コシヒカリは水稲農林百号だそうです。コメの品種はデビューするまでは、
数字で呼ばれていて、市場に流通する時に
初めて品種名がつくそうです
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